HOME > ふじよしくんの独り言⑥

ふじよしくんより・・・

現役の配ぜん人・OB・OGのためにいろいろな意味で人生の参考になれば・・・
まぁ~軽く聞き流して下さい。
随時、更新しようと思っております。


其の26 自分とは一生かけて探していく宝物である

よく「私は何のとりえもない」と謙遜して言う人がいますが、何のとりえもない人間なんてこの世にいません。
考えてもみてください。
自分が今までやったこと、やったことの無いこと、どちらが多いですか?
圧倒的にやったことの無いことの方が多いはずです。
世の中には自分の可能性を試せることがこんなにもあるのに。
世の中には人それぞれが輝けるものが必ずあるはずだから・・・
それを見つける事が自分を見つける楽しさにもなっていきます。
今まで知らなかった自分を見つける楽しさにもなっていきます。
その宝物を楽しく、前向きに探していくと、いつか気づく事があるかもしれません。
一番輝いている宝物が自分であることに・・・

其の27 悩んだら勇気を出して誰かに話してみよう

もしも悩みの無い生活を送れたらどんなに幸せでしょう。
もし何か悩みがあるのなら、勇気を出して近くの人に話してみてください。
人に話すことで、自分の考えを理解してもらったり、肯定してもらったりすると自信になり、
たとえ間違った考えだったりしても、何かいいアイディア、解決法を教えてくれるかもしれません。
悩みとは自分ひとりの力では解決できない問題です。
だから悩みとは人に話すことで80%解決したといっても過言じゃありません。
残りの20%は考えたことを実行する行動力です。
人に話す勇気があれば行動できるはずです。
1人で悩んでないで勇気を出して誰かに相談してごらん。
みんなも色々な事で悩んでいるのだから、恥ずかしいことなんかないんだよ。
きっと解決できるから!大丈夫!話してごらん!

其の28 コンプレックスなんか踏み潰せ

誰でも一つや二つはコンプレックスを持っているのではないのでしょうか。
コンプレックスを一つも持っていない人なんか聞いたことはありません。
もしいるのなら人の目を全く気にせず、自分中心にしか物を考えられない寂しい人でしょう。
コンプレックスとは人より劣ってたり、恥ずかしいと思うことです。
逆に言えば人より劣ってる自分を素直に見つめられ、認められることです。
自分の人より劣ってる部分、恥ずかしいと思う心、弱い自分を理解し、認めることが出来て初めて、
それを乗り越えようという活力が生まれ、克服・努力をし、一歩先の自分になれるのです。
皆から強いと思われてる人ほど、コンプレックスを持っていて、弱い人間のような気がします。
弱いからこそ、コンプレックスを踏み潰し、乗り越えようとするから強くなれるのです。
だから逆にコンプレックスがあったり、弱い自分を知ってる人間の方が強くなれるのです。
誰にでも人より劣ってたり、恥ずかしいと思うこと以上に人より優れていたり、カッコいい事が必ずあるはずだから・・・

其の29 嫌いな人から学ぶこともある

世の中自分の好きな人、価値観が同じの人ばかりじゃありません。
気が合わない人、価値観が合わない人も必ずいるはずです。
だからと言って、気が合わない、価値観が合わない人とも仲良くしなさい、
なんて教科書通りの良い子でいる必要もなく、嫌いな人がいても良いと思います。
しかし、気が合わない、価値観が合わないからといって、
近づかず遠ざけてばかりいるとストレスはたまり、嫌な思いが残るだけではないでしょうか。
世の中は広く、必ず同じような人がいて、また会った時に同じ思いをするのは嫌じゃないですか。
実は自分の嫌いな人、価値観が合わない人こそ、冷静に客観的に見る事ができれば、
好きな人といるときよりも、勉強できることが沢山あるのです。
あ!そういう考えの人もいるんだ!
やっぱりこういう奴は自分にとってマイナスだ!
あ!嫌な奴でもこんな凄いことも出来るんだ!
こんな人間にならないようにしよう!
嫌な奴だから実は寂しいひとなんだ。嫌な奴だけど本当は良い人じゃん。
こういう嫌な奴はこういう風に接すれば、上手く切り抜けられるんだ。とか、
次に同じような嫌な奴に会った時の対処法など、学ぶべきことは沢山あるのです。
一度だけ嫌いな奴を受け入れて、それでも好きになれないなら、とことん嫌いになればいい。
嫌いな人から目を背けてばかりじゃ自分だけの価値観という殻を破って成長できない。
自分がただのワガママな、嫌な人間になってしまうかもしれませんよ。

其の30 「はったり」は本当にしてしまえば、すごい奴

これは自分の人生の最終目標である。
これは死を美化してる訳でも、死に方(病死・事故死)のことではありません。
酷かもしれませんが、誰にでもいつか必ず死は訪れます。
自分の人生(舞台)の終着点である死をいかにして迎えるかである。
自分の死を最終目標にすると、日常の些細な問題、悩みなんかは小さいことで、
もっと大きな視点で自分の人生を見れるというメリットもあるのです。
いつか自分が死んだ時、自分の人生は幸せだったと自分自身が自己満足で終わるのではなく、
神以外の第三者が客観的に、「あの人死んじゃったけど、自分の好きなように楽しく生きて幸せだったよね」
「あの人すごい人だったよね」「あの人の人生羨ましい」「あんな生き方してみたい」「あんな生き方カッコいい」とか、
死んだことを悲しむんじゃなく、あの人に会えて良かったと思える人生にする事が自分の人生の最終目標です。
第三者が客観的に、より多くの人がそう思ってくれる生き方が出来れば、自分の人生(舞台)は大満足です。
何故なら自分の事をそう思ってくれる人がいたのなら、
自分が死んでもそう思ってくれた人の心には一生、生き続けていけると思うから・・・